『虚空へ向けて』1931年版への注
1931年
P95[1]
当時、車はまだなかった。しかしここに車の誕生が予感されている。物事はまず感覚の中に存在しなければならず、それから発明されるということが、この論考の最初の段落が証明している。
P97[1]
装飾に対する最初の挑戦である。
P101[2]
ここでは今日モダンとされるスチール家具が初めて言及されている。
P153[3]
ワンタッチネクタイを売らない店が欲しいという希望は、もうすでに何百回と満たされているではないか!
ヨーゼフ・ホフマンは、1930年12月[4]、『クヴェアシュニット』誌で、本人も当時つけていた、芯が厚紙で出来たネクタイ(私がこれに辛辣な寸評を加えた)についてこう発言している。「これはもとから結ばれているのだ」。これは嘘である。私は、ホフマンが私の非難を受けて反論してくるのを望んでいた。ホフマンはこうも言った。「ロースは、オルブリヒときたらこの厚紙ネクタイに合わせてハイセンスなジャケットを着てみせるのだ、とあげつらうことで、オルブリヒの思い出を貶めている」。こんな言い草は、ホフマンに対しては当然できない非難だった。
P168[5]
1931年の今、事態はますますひどいことになっている!本を開くと、縁の内側にはまったく意味のない幅の広い白い余白を持った本が印刷されているのである。文字はたっぷりした余白に面して、ぎちぎちに並べられ、絵まで入れて印刷する始末。親指が邪魔して何も見ることができないではないか。構成主義者からウィーン工房まで、前衛にいる者たちよ、さかのぼって1928年のころの自分たちの記念本を見なおしてみるがいい!
もっとも評価は自ずと明らかなこの記念本、この偽物に関しては言わねばならないことがたくさんある。ここに書けるだけ書いておく。
- 装飾術は私が尊敬するソニア・ドローネーから奪われて、印刷された絹のために開発され、そこに(ものはものとして保つ限り、美的なものであり続けるという私のテーゼに対応して)しっかり根をおろしている。
- 私が講演のたびに、聴衆の笑いを取るためのネタにして、わざわざ皆さんに見せているヨーゼフ・ホフマンの食器の箇所だが、本来はもっと正確に、常識的なことが書かれていたのである。つまりこうだった。さんざん物笑いにされているウィーン工房の食器はこんな風に見えるのだ!と。
- ペーター・アルテンベルクを引用すると、まるで彼がウィーン工房の賛美者だったような印象を与えるし、しかもおそらくそういう印象を与えるために書かれたのだろう。しかし彼の作品を読めば、彼がもっとも偉大で、もっとも正直なウィーン工房の敵対者であることが分かるのである。
アドルフ・ロース
- 「豪華な馬車」(『虚空へ向けて』119ページに収録)に対する注。
- 「配管工」(前掲書130ページに収録)に対する注。
- 「下着」(前掲書186ページに収録)に対する注。
- 「『クヴェアシュニット』誌上の言い争い」参照。
- 「印刷工」(前掲書211ページに収録)に対する注。