『クヴェアシュニット』誌上の言い争い
1930年
有名なウィーンの建築家で実用美学者のアドルフ・ロースは、キャリアをスタートとしたころ、襟の下に上手に巻かれたネクタイをしている男を見つけると(華美を売りにする分離派が全盛の頃の話だ)、いちいち襟首をつかんで、突っかかるのだった。
「ちょっとそこのあなた!なんの権利があってネクタイをしめてるんです?ご自分が大金持ちだとでも言いたいんですか?自由につかえる時間がたっぷりあるご身分だから、無駄な高級品をもつ余裕があるというわけですか?」
実際に「襟首をつかまれ」(ウィーン人は何でもビジュアル的に表現する)困惑しきって口ごもり、いったい何が起こっているのか、そしてこのロースという男が誰なのかまったく分からずにいると、この男はこう畳みかけるのである。
「なんで後ろで止めるだけのフック式ネクタイをつけないんですか?」
言われた方はびっくりして黙っていると、ロースはフック式ネクタイの方がより実用的で、実用的なものはすばらしいものなのだということを延々と説きはじめるのだった。
グレトール
「クヴェアシュニット」の7月号が私、ロースのことを扱っている。いつも世間が私を扱うようにである。世間の私への対応は例えばこうである。「装飾を排除して、もっと安価で仕事を請け負えとロースが押しつけてくるが、装飾をたくさんつけてもっと高く仕事を請けるべきだ」と反撃してくる。あるいは「ロースは家族写真と思い出の品を捨てるなと言うが(自分の家族を恥ずかしいと思うひとと私は一切関係を持ちたくない)、家族写真をトイレに掛けろと言うのか」と難癖をつけてくる。そして今回、「クヴェアシュニット」にグレトールなる御仁が登場して、私が襟の下に(彼はそう言っているが、本当は「襟の上」だと思われる)うまく巻かれたネクタイをつけている者を見つけると、襟首につかみかかるという話を聞いたという。私は誰にでも噛みついているわけではない。私が問題にしたのはいかにも芸術家風をきどるネクタイを締めていたオルブリヒ、コロマン・モーザー、ホフマンの三人だった。彼らは上手にネクタイを締め、自分でデザインしたジャケットとビロードの折り返しのついたビーダーマイヤー風のチェックのフロックコートを着ていた。誰もが彼らを芸術家だと思うほど、その出で立ちは効果抜群だった。だが、彼らがつけていたネクタイはサテンで覆った厚紙のおかげでかろうじてネクタイの印象を保っているにすぎないひどい代物で、お世辞にも良いものとは言いがたかった。だから私は彼らのネクタイを、イミテーションの一つとして拒否したのだ。私の論考集に書いたことだが、ウィーンで最初にまともなネクタイを流行らせたのは、何を隠そうこの私である。比較的上質な紳士服の店では、くだらないフック式ネクタイや、もっとくだらないイミテーションネクタイは廃れる時代が来ると煽ったのである。その結果ひとびとはまともなネクタイに飛びついた。このパラドックスは、今では誰もが知ることとなった。ちなみに、この論考集を出すにあたっては、ドイツでは出版社が見つからず、戦後になってフランスのジョルジュ・クレ出版から出版されたという経緯がある。
アドルフ・ロース(パリ)
親愛なる編集長様!
前々回の「クヴェアシュニット」の編集ぶりに、一人の熱心な読者として率直に感謝申し上げます。グレトールが書いたあまりに率直で、真意としてはまったく正確なアドルフ・ロースの風刺を読みました。前回号でロースはグレトールの記事をダシにして、私と、ずいぶん前に亡くなった友人であるオルブリヒとモーザーを本格的に誹謗しています。たとえロースがいつもまともなネクタイを締めているつもりであったとしても(本人が白状しているように、それはロース自身が作ったものではありませんでした)、そもそもロースだってネクタイを締めていたことに変わりありません。彼がビロードの折り返しのついたチェックのフロックコートについて語っていることはすべて、彼の休まることを知らない憎しみから出た創作にすぎません。もしオルブリヒとモーザーが生きていて、ロースに反論できるのなら、私は喜んで口を閉ざしたことでしょう。ずっと建築に携わりながら、理想的な様式の変遷に貢献するために、なぜモーザーと私が、過去のあらゆる様式の模倣とひどいイミテーションしかない時代に、装飾も自由に解放することを義務と感じ、もっとも簡単な方法から始めざるを得なかったのでしょうか。そのやり方は今日から見れば余計なものと受け止められるかもしれませんが、あの時代に必要不可欠なものだったと私は考えています。
ドクター・ヨーゼフ・ホフマン教授(ウィーン)
(1950文字)