もう一度「椅子」について

1929年

 

 フランクフルトで「椅子」展が開催された際、われわれは、アドルフ・ロースがウィーンの家具職人ヨーゼフ・ファイリヒに捧げた見事な追悼文を公開した。この建築界の重鎮が、それを補完する文章を送ってきたので紹介する。(編集部)

 

 先日鬼籍に入った私の協力者ファイリヒへの追悼文を活字にしていただき、心から感謝申し上げます。いくつか訂正したい点がありますので、ご了承ください。

 あの文章は当初ウィーンの新聞に載せるつもりでした。しかし私が協力していたウィーンの主要2紙がどちらも掲載を拒否したため、貴紙にお願いした経緯があります。その際、ドイツではオーストリアで言うゼッセル(椅子)がドイツではシュトゥール(椅子)を意味し、オーストリアで言うシュトゥール(腰掛け)がドイツではシュメール(腰掛け)を意味することを考慮していませんでした。ですから、ドイツ流にいうなら、ファイリヒは腰掛け(シュメール)を専門に作っていた職人だったということになります。

 もう一点、貴紙が私の追悼文の前につけていらした前書きに、私が「椅子」展の企画を批判したとされていますが、それは誤解で、この企画自体は私が言い出したことです。シュトゥットガルトのシュネック[1]教授が証言してくれます。前回あの町に滞在した折、私が教授に椅子展の開催を提案したのです。(パツァウレク[2]の風雅を旨とする工芸博物館に対抗するためにです)伝統的な椅子の発展を見せることによって、近年どこでも見られるようになった、好き勝手な空想のおもむくままうるさく主張するフォルムを黙らせようという目的がありました。最近の新しい椅子だけではなく、人間の感覚的な経験を通じて生じてきた変化を、はっきり見極めることができる椅子も展示すべきだと考えたのです。

 椅子のフォルムを決める上で一番重要なことは何でしょうか。椅子は私たちの体の寸法に合わせて作られるものだと昨今どこでも考えられていますが、それはただの見せかけです。椅子を使う人間はどこへ行っても同じ体をしているのに、この千年間でどれだけ椅子のフォルムは変わってきたことでしょう!安楽椅子博物館、あるいは椅子博物館が何を見せるべきなのか、これで明らかになったと思います。この点をしっかり理解していないひとが企画にかかわるべきではない、ということを言いたかったのです。私は目下「現代感覚の持ち主」と題した連続講演を行っていますので、そこに足を運んで、身の回りにあるすべての日用品に役立つことを、ぜひ多くの人に学んでいただきたいと考えています。

( 1080文字)

 

  1. アドルフ・グスタフ・シュネック(Adolf Gustav Schneck, 1883-1971)はドイツ出身の建築家、家具デザイナー。室内装飾業に14歳からたずさわり、その後シュトゥットガルト工芸学校(Kunstgewerbeschule in Stuttgart)とシュトゥットガルト応用科学大学を卒業。1919年から建築家として活動し、1923年からはシュトゥットガルト工芸学校の教授を務める。1927年のシュトゥットガルト・ジードルングの住宅展に出展建築家の一人として参加した。
  2. グスタフ・エドモンド・パツァウレク(Gustav Edmund Pazaurek, 1865-1935)はチェコとドイツで活動した美術史家。プラハの大学で美術史を学び、主にボヘミアガラスや陶器、磁器を専門とした。1906年にシュトゥットガルトに移り、1913年から1932年にかけては州立シュトゥットガルト工芸博物館(Landes-Gewerbemuseums Stuttgart)で装飾芸術部門のディレクターを務めた。