アドルフ・ロース、裁判所旧庁舎再建に反対する
再建は大いなる無駄、ウィーン建築における異質の存在だ
”ヴィーナー・アルゲマイネ新聞[1]” 1927年9月17日
問題になっているウィーンの裁判所旧庁舎再建をめぐり、オーストリア建築家中央連盟は反対集会を行った。この問題に関して現在ウィーンに滞在中のアドルフ・ロースに話を聞いた。ロースが弊紙記者に答えた。
旧庁舎のオリジナル設計にしたがって建物を再建するとなると、ゼロから新しく建てるよりよほど高くつきます。こうした再建は、新築の場合とは比較にならないほど無駄な出費がかさみます。それに比べると新築はコストパフォーマンスが良い。
旧庁舎再建に反対する理由はそれだけではありません。この建物はドイツ・ルネサンス様式で建てられています。ドイツでは非常に好まれていて、1880年代はこの様式が一般的とされていました。しかしウィーンはそうではなかった。だからウィーンの建築群の中で、裁判所庁舎はいつも浮いていました。
ファサードがひどい上に、この建物はありえないくらい不便です。階段と廊下の占める割合が無駄に多く、本来一番大事な執務室があまった空間に狭く押し込められているのです。
おもしろいのは、バレエ『エクセルシオール[2]』の舞台が、この建物の中央に位置する大きな天窓付きの大理石ホールを再現して使っていることです。芝居の舞台にするのが、この建物の唯一正しい使い方だったかもしれません。でも裁判所庁舎という本来の目的には向かなかったのです。ファサードをそのまま残して内部だけ新しく建てなおすというのは、技術的に無理があります。こう考えてくれば答えはひとつ。旧庁舎再建はしないにこしたことはないということです。
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*裁判所の建物はアレキサンダー・ヴィーレマンス(Alexander Augustin Wielemans, 1843-1911)の設計によって1881年にドイツルネサンス様式で建てられた。本論考の再建計画の背景として、1927年7月15日に起きた暴動のさなか裁判所が放火され、建物が損傷したことがある。その後、ハインリヒ・リード(Heinrich Ried, 1881-1957)による再建案が採用され、1929年から1931年にかけて再建された。ルーフラインのデザインやファサードなど、もとの建築の一部を変更して再建された裁判所は、ロースのみならずヨーゼフ・フランクやヨーゼフ・ホフマンらの建築家から非難された。
- 『ヴィーナー・アルゲマイネ新聞』(Wiener Allgemeine Zeitung)は1880年3月から1934年12月にかけてウィーンで刊行されたリベラル派の日刊紙。テオドール・ヘルツカ(Theodor Hertzka, 1845-1924)によって創刊された。創刊時は朝刊であったが、本論考の掲載当時は夕刊に変更され「6時新聞(Sechs-Uhr-Blatt)」という副題がついていた。
- エクセルシオール(Exzelsior)はルイージ・マンツォッティ(Luigi Manzotti, 1835-1905)振付によるバレエ作品。19世紀イタリアで最も成功した作品の一つと言われ、初演は1881年にミラノ・スカラ座で行われた。人類の英知を象徴する光と無知を象徴する闇との対決をモチーフに、蒸気船や電気、トンネル開通などの新たな文明を讃える作品。