現代感覚の持ち主
”ノイエ・ヴィーナー・ジャーナル” 1926年2月21日
アドルフ・ロースのソルボンヌ講演
弊紙特派員 パリ2月18日
有名なウィーンの建築家で、ペーター・アルテンベルクの友人であり、数多くの独創的な著作を発表している著述家でもあるアドルフ・ロースが、根城にしているカフェ・ドゥ・ドーモ[1]を出て、ソルボンヌに集まった数多くの聴衆の前に登場し講演を行った。そして大盛況のうちに幕をとじた。ここ数ヶ月、パリのボヘミアンたち(そこにはまったくフランス人が混じっていない)がロースの定席にやってきて取り囲んでいたが、昨日はロースが演壇の前に立って聴衆に呼びかけた。完璧な身だしなみと洗練された身のこなしはいつもと変らず、彼はソルボンヌの中でも大きなホールで、ウィーンなまりのドイツ語をあやつり、「現代感覚の持ち主」について語った。講演は、集まった聴衆を全員収容しきれないほどの盛況ぶりだった。パリのオーストリア人だけでなく、フランス人やポーランド人、ロシア人らもたくさん顔を見せた。聴衆はロースの話すことに舌を巻き、聞き惚れた。ロースはさして面白味のないテーマを、楽しくウィットに富んだやり方で包み込むすべを心得ていたから、ひとびとから笑いがたえることはなかった。いわゆる「処世術」を学びにソルボンヌへ足を運んできた聴衆にむかって、ロースは「現代人はどう座り、どう横たわり、どう立ち、どう眠るべきか」を説明した。現代の椅子は低く作られているため、われわれがアメリカ人のように机の上に足を乗せる行為は問題ないことや、居合わせたひとに気を使って無理な姿勢をとるのは(例えば椅子の縁にすわるなど)愚かしいことだと明言した。こうした習慣はすべて18世紀に生まれたもので、今も形骸化したまま残っていると指摘した上で、次のように語った。
アメリカでは、店に入って帽子を取るひとはいません。帽子を手に持ったまま買い物をするのは面倒ですから、皆さんはつい椅子の上に置いたりするわけです・・・。帽子の上にひとが座ったらどうします?そんなことありえないって誰が保証できますか?だったら帽子はかぶったままが一番良い。アメリカ人はそう考えるんです。オーストリアではそうではない。ニューヨークから帰ってきて、ウィーンの大きなワインショップに入ったんですが、僕は帽子をかぶったままでした。なにしろアメリカから帰ったばかりでしたからね。ワインを買う気はなくて、店の主人が友人でしたから話をしたかっただけでした。店員にその旨をつげると、彼はこう言ったんです。
「Xはあなたとお話することはできません」
「そうですか。でも、なぜです?」
「Xは礼儀正しい方としか話をしません。礼儀をわきまえた方なら、店に入ったらきちんと帽子を取るものです・・・」
ロースはこんなたぐいのエピソードを次から次へと語った。
彼の講演会は得るものが多い上に、快適な時間を過ごすことができる。コペンハーゲンの『エクストラ・ブラーデッド[2]』紙がロースについて書いた賛辞は、いくぶん誇張があるかもしれないが、彼の講演は聴くだけの価値がある。それに無料という点も見逃せない。(建設会社にお金がないと、決まって僕のところに話がくるんだ、とロースはいつものカフェで語っていた)。同紙の賛辞はこうである。「人間には二つのタイプがある。アドルフ・ロースの講演を聴いた者と聴かなかった者である」。
(1396文字)
- カフェ・ドゥ・ドーモ(Cafe de Dome)は1898年にモンパルナスにオープンしたカフェ。当時のモンパルナスに住むボヘミアン達の溜まり場であり、ロースも1924年にパリに移り住んで以来常連となっていた。同時代の常連に画家のピエト・モンドリアン(Piet Mondrian, 1872-1944)、マックス・アッカーマン(Max Ackermann, 1887-1975)などがいる。カフェは現在も同じ場所で営業しており、観光名所のひとつとなっている。
- 『エクストラ・ブラーデット』(Ekstra Bladet)は1904年2月、日露戦争の速報を伝えるためにポリチケン紙の特別夕刊号としてデンマークで創刊された新聞。日露戦争が長期化したため継続して刊行され、大衆の生活に根付いていった。