新婚夫婦のための家具
”新8時新聞” 1918年12月11日
ウィーン市が新婚夫婦に供給するための家具を大量に作るのに50万クローネ[1]を拠出することになった。中古の家具を修復し、広く提供しようという計画である。それを聞きつけたウィーン工房、オーストリア工作連盟ならびに工芸学校の目端が利く連中が、これを思い通りに動かそうと画策し始めた。危険である。国家紋章の改変計画が出た際にもやはり彼らが首を突っ込んできて、ヨーロッパ中の笑い者になったことがある。(この任にあたった宮廷顧問官コラーは、市民と農民と労働者を舞台の登場人物のようにデザインして紋章につけようとしたのである)[2]だが今回は物言いがついた。私からだけでなく、行政上層部からも不満の声があがった。「彼ら流の隠微な芸術教義をふりかざしたところで国民はまったく理解できないし、戦後の時代状況の深刻さに照らし合わせて、彼らの出る幕はない」と。
若い夫婦は苦労して家計をやりくりしているのだから、市から提供される資金の恩恵は可能な限り多くの夫婦が受けるのが望ましい。このプロジェクトがうまくいくかどうかは家具のフォルムどうこうの問題ではなく、いかに大量に安く作ることができるかにかかっている。まずは使わなくなった家具をできる限り集めることだ。閉鎖されたオフィスや病院、社員食堂からは食器類、洗濯用具、ナイフ・フォークの類、ベッドなどが手に入るし、鉄製のベッドもあれば、軟材で作った新品同様の木製家具もある。みな塗装済みである。一番安価にリサイクルできるフォルムが求められており、それゆえそれが一番適しているものということになる。家具を白いワニスで塗るのは、油性ペンキの値段が下がるまで待てばいい。わが国で作られている、見てくればかりの軽薄な家具が国外でもてはやされ、われわれの評判を貶めている。その状況を変革しようとする流れが出始めているが、それを止めてはならない。こけ脅しを求めるパリの娼婦たちにとってウィーン工房の家具は最高だろうが、ウィーンの労働者たちはそんなものを求めていないのである。
1918年12月13日
二日前に、建築家アドルフ・ロースがウィーン市の家具計画に対してコメントを寄せているが、それに関してウィーンのある労働者から以下の投書があった。
できる限り多くのひとびとに安価な家具を調達するという建築家ロースの意見は広く支持されるべきです。しかし、労働者には最低のもので十分だという考えは、納得できません。鉄製ベッド、会社の書類を保管していた古いすり傷だらけの事務所のキャビネット、がたがたのテーブルとソファー、こうしたものが修復されて労働者の家を「飾る」べきだとおっしゃる。こうした家具は無料で提供されるわけではありませんし、この手の家具が長持ちしないことも分かりきっています。家具代を分割払いする場合、支払いが済む前に家具は腐って使いものにならなくなってしまうでしょう。粗悪品など役に立たない!労働者の給料が、五年ごとに新しい家具を買い換えられるほど、増える見通しはありません。ところでロース氏は、労働者は誰一人として美的センスを持ち合わせていないと考えておられるようです。労働者はこの先もずっと空虚で退屈な空間で、のんべんだらりと暮らしたいのだと、ロース氏は本気で信じているのでしょうか?労働者が人生の大半をまったく美とは縁もゆかりもない仕事場で過ごさなければならないのに、家に帰っても無味乾燥な部屋に囲まれなければならないだなんて、そんなことを強制される筋合いはありません。この先、安価な資金でも質がよくて長持ち、簡素ですばらしい家具を作ることは不可能ではないでしょう。そのためには行政にもしっかり汗をかいてもらわないといけません。最後に申し上げますが、労働者自身だって、パリの娼婦にぴったりの家具が自分たちには合わないことくらい十分承知しています。ですが鉄製ベッドはそんな私どもにとっても、使えたものじゃありませんよ、ロースさん!
これに対するロース氏からの返答。
労働者には最低のもので十分だなんて、私はまったく考えていない。
このひとは、会社の事務所にはすり傷だらけのキャビネットやがたがたのテーブルとソファーしかないと思っているようだ。まあ、それはありうる。だが私はそうとばかりは言い切れないと考えている。たとえば面会室や診察室、あるいは軍の士官室で使用され、後に持ち主を替え、値上げされて転売され、今では裕福な家庭に収まっているような、手間ひまかけて作られた家具だってあるはずだ。立派なテーブルやソファー、革張りの応接用安楽椅子といった家具である。軟材を利用すれば、修復もしやすいだろうし、一平方メートルの白いワニスが戦前3クローネだったのに、現在40クローネもするというのなら、世の中が今より良くなってから塗装すればいいではないか。実際、私はとても裕福な顧客にこう進言したことがある。「誰もが必要としている材料が手に入りづらい時代です。できる限り節約すべきではありませんか」と。節約はわれわれの社会的な義務である。もしこの投書者が「美的センス」を根拠にして、この社会的義務は労働者には通用しないというのであれば、それは個人の勝手である。
鉄製ベッドを使うべきかどうか。これは趣味の問題だ。ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム一世は眠るのも死ぬもの鉄製ベッドの上だった。だが彼の孫は「美的センス」を持っていたから、この投書者の意見に飛びついて感謝したことだろう。私自身はベッドを使わず、床の上に直接高めのスプリング式羽毛マットレスを敷き、その上に馬の毛でできたマットレスを乗せて寝ている。これでベッドを買う金を節約しているのである。寝心地が悪くないかって?そんなことはない。寝ている間はベッドフレームがないことなど忘れている。ベッドの下に何も収納できない弱みはある。靴脱ぎ台の置き場に困るなら、ナイトテーブルの中にしまえばいい。(ちなみに私はナイトテーブルも持っていない)
この寝室の写真は、ペーター・アルテンベルクが出した個人雑誌『芸術(クンスト)[3]』の第一号に掲載されている。
この部屋のキャビネットは軟材で作られているが、値段は16クローネだった。買ったのは15年前のことだがいまだ新品同様である。「無味乾燥さ」を問題にするなら、それも個人の趣味の問題だとしか言いようがない。パプア人の「美的センス」は、数年かけて顔と体に入れ墨を入れることを求める。ウィーンの犯罪者とイギリスの貴族もそうである。だが現代の人間であれば、ウィーン工房の装飾から自分の顔や家具は守りたいと願うものである。
(2707文字)
- クローネはオーストリアで1892年から1918年まで使用された通貨単位。デンマークとスウェーデンのスカンディナヴィア通貨同盟(Skandinaviska myntunionen)で生まれたクローネと区別するために、「オーストリア・ハンガリー・クローネ(Österreichisch-ungarischen Krone)」とも呼ばれた。 1クローネ=100ヘーラー換算。 1、2、5クローネと3種類の銀貨によって構成され、2クローネは10gの銀でできていた。
- 1918年に起きたオーストリア革命によって、1919年にオーストリア・ハンガリー帝国の国章からオーストリア第一共和国の国章に改変された。それまで使用されていたハプスブルク家を象徴する「双頭の鷲」の国章から、頭が一つの鷲に変更された。また、鷲の握るものが帝位のシンボルである宝珠・剣・王笏から、農民と労働者のシンボル、鎌とハンマーに変えられた。
- クンスト(Kunst)はウィーンの詩人ペーター・アルテンベルクによって編集された個人雑誌。芸術をはじめ文化事象一般を取り上げ、月に2回発行された。1903年10月に刊行された第一号の付録として、ロースの「他なるもの」が収録された。