建築家ロースの講演

1911年

 

 出版社様!

 講演の最中、口がすべってつい言ってしまった言葉がありました。あれは、次の文章からの引用です。

「ミヒャエル広場に建てた自分の建物に関するロース氏の主な弁明は、ブルク城と鮮やかな対比をなす建物を置くことで、建物と周辺の路上の風景とが調和するよう試みたのだ、というものだった。この土地とこの土地に根ざす産業のアメリカ的なフォルムにふさわしい商業施設を建てねばならなかったにもかかわらず、彼が建物全体のフォルムを決めていく上で全体的なモチーフとして用いたのは古典主義でつくられた教会の正面とミヒャエルハウス[1]の落ち着いたファサードであり、また同時にそれが見るものに伝わるようにしたというのである。建築家ロースはこの建物がウィーン一区フライウングのツァハハウス[2]のように、町のたたずまいに根付くことを確信していると語った。ロースによれば、120年前にツァハハウスがお目見えした当初は「タンス」と揶揄され世間を騒がせたが、それはちょうど今日の彼の建物に対する扱いと同じようだったという」

 私が言及したこの文章は「歴史記念碑保存帝国中央委員会[3]」の年報に書かれていたもので、私はここから引用して文字通り読み上げた次第です。しかしご存知のとおりホールの音響がよくなかったので、御社の記者の耳には届きませんでした。

敬具 アドルフ・ロース

(583文字)

 

  1. ミヒャエルハウスは1720年にジョバンニ・バティスタ・マデルナ(Giovanni Battista Maderna)の設計によってミヒャエル広場に建てられた賃貸住宅。ロースハウスとは道路を挟んで向かい合っている。この建物のファサードは、住居建築と商業建築とがうまく調和するこの地域一帯の景観デザインのさきがけとなった。詩人ピエトロ・メタスタージオ(Pietro Metastasio, 1698-1782)や作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1809)などの有名人も入居していた。現存。
  2. フライウングのツァハハウスは、1774年にオーストリア人建築家アンドレアス・ツァハ(Andreas Zach,1736-1797)によってウィーン1区フライウング7番地に建てられた賃貸住宅。隣接するショッテン教会(Schottenstift)1階部分の修道院長の住居を拡大する形で設計され、2階から4階は商工業者の住宅として建設された。全階が同じ高さで建物の装飾が質素なため、竣工当時ウィーンの人々に「タンス」と揶揄された。現在は1階に薬局と化粧品専門店が入った賃貸住宅として使用されている。
  3. 歴史記念碑保存帝国中央委員会は1873年にオーストリア国内における建造物と記念物の保護に関する研究と保存活動の実践を目的として設立された組織。「有史以前と古典古代」「中世と近代」「様々な種類の歴史的記念物」の3部門から成る。1850 年に歴史的建造物の保護を目的に設立された「記念建造物の研究と保存のための帝国中央委員会(k. Central-Commission für die Erforschung und Erhaltung der Baudenkmale)」を名称変更し、記念物も保存対象に加える形で整備された。