現代礼賛
”メルツ[1]” 1908年8月19日
過去数千年をよく吟味し、自分ならどの時代に生きたかっただろうと思いをめぐらすことがあるが、やはり現代がいいという思いが強い。別の時代に生まれていたら楽しいこともあっただろうと思うこともある。どの時代もそれぞれ味があるものだ。ひょっとすると今より昔の方が、ひとびとは幸せに暮らしていたのかもしれない。だが一つはっきりしていることがある。それは現代ほど美しく、上質で、実用的な服装をしている時代はないことだ。
たとえば朝、ローマ人のように一枚布の上着トガ[2]を体に巻きつけ、一日中ろくに身動きもとれずに襞折りにかまけている様を想像すると、私は死にたくなってくる。とにかくどんどん歩き回りたいのだ。虫の居所が悪いときに、町の中を颯爽と走っていくトラムに揺られれば、虫などいっぺんに消えてしまう。だがローマ人は動き回ることを好まず、いつも同じ場所に突っ立っていた。ローマ人は公衆浴場で長々と過ごしたが、私だったら湯から上れば、五分もしないうちにトガを体に巻きつけ、さっさと出て行く。そんな感覚なのである。
だがチンクエチェント(16世紀)[3]になると話は違ってくる。あの時代の装いは見事だった。ならばおまえはビロードと絹でできた当時の服を身につけ、まるで縁日の猿のような格好をするつもりか、と聞かれればノーと答えるしかないが。
私は今着ているツィードのジャケットを心からすばらしいと考えている。ここには人間が身につけてきた服というものの原初の形が宿っている。これは万物の父ヴォータン[4]が身につけていたマントと同じ毛織物である。スコットランドでは格子じまの肩掛けが生まれ、現在では、舞台衣装を作る者がこの生地を赤や青に染めて使用している。スコットランドには昔から黒羊がおり、白い羊毛と織り合わせて白黒のツィードが誕生した。
原初の服とは何か。
ユーラシア大陸を奥深くまで旅する者なら誰もが味わう失望がある。それは、その土地の物乞いはさぞ絵になるだろうと期待して行ってみると、自分の故郷の物乞いと変わらない格好をしており、期待を裏切られるのである。チグリス川地域、シカゴ、中国、ケープタウン、どこでも事情は同じだ。古代アッシリアの女王セミーラミス時代の物乞いと現代の田舎にいる物乞いにさして違いはなかったのである。古いよれよれのズボンは、いつの時代でも、どんな場所でも、違和感なく貧しい者の体を包む。現代的ではないが、いつも人間とともにあり、数千年にわたり人間に寄り添ってきた。
これが原初の服というものだ。
身分の高い者は貧しい者の服装を軽蔑しながら、きわめて愚劣でまったく美的とは言えない服を弄んできたが、物乞いという存在は今も昔も変わらず、眼には美的に映るものなのである。だがルイ14世の服装は今の眼に美的には映らない。ここで私はあくまで「眼には」と言っているのであって、「鼻には」とは言っていないから、そこはお間違いなきよう。
原初の服、それは誰かが発明したものでもなければ、ある時誕生したものでもない。それは常に人間とともにあり、人類が胎児だった時代にもあった。そして母のもとから離れ、現代までずっと生き続けているのである。
精神的に豊かな者の服とは何か。
それは自立した者の服である。自立した人間とは何か。揺るがない個性のために、もはや色の組み合わせや羽根飾り、服のカットによって個性を表現できなくなった人間である。そんな人間に似合う服こそ、自立した人間の服装なのだ。ビロードの服を身につければ個性を表現できると思っている画家は救いようがない。真の芸術家はそんなことをしない。
猿のコスチュームでも真似ているのかと他民族から蔑まれてきたイギリスが、世界支配に乗り出したとたん過去の汚名を返上し、今度は原初の服を自ら世界各地に押しつけ始めた。フランシス・ベーコン、ウィリアム大帝、そしてエイボン川の白鳥ことシェークスピアを輩出したこの民族は、数千年にわたり毛織物を作り続けてきた。その過程である一つのフォルムは似たようなフォルムを生み、さらに画一化されたユニフォーム(制服)にまで発展した。その画一さの中で、ひとは個人的な個性を隠すことができる。つまりフォルムは仮面になったのである。
イギリス人の服とは何か。
イギリス人が考える個性とは、たとえば財産がなくとも強烈な個性を放つ浮浪者が矯正施設に閉じこめられることなく大事にされていることであり、仕事が恥でもなければ、それにもまして名誉でもなく、誰もが自らの存在を示すことができ、またそうしたくなければ、そうしないでいられることだ。つまり自由意志にしたがって人生を歩んでいけるということだろう。こうした人間たちにふさわしい服がイギリス人の服ということになる。物乞いであることは強烈な個性によるヒロイックな表現である。金があるから働かないだけなら、ヒロイックな表現にはならない。無一文で無職でありながら、人生をどうどう歩む者が個性全開のヒーローなのだ。
ドイツ人はイギリス流に抵抗している。もっともゲーテは意識的にイギリス的な服装をした最初のひとで、『若きウェルテルの悩み』の主人公ウェルテルの強烈な個性を生み出したのはその服装だった。今日では同じ服を身にまとったジョン・ブルがイギリス人の典型として擬人化されている。だがドイツ人は今でもイギリス的な服装を好まない。服の奇抜なカット、ファッション分野での度肝を抜くアイデア、冒険するネクタイ、これらによって個性を発揮しようとするのである。
*)原文注 とはいえ中身はみな同じである。誰もがトリスタンを見に行き、一日に5本の葉巻を吸い、朝はティングルタングルに行き、同じ場面で同じセリフをはき(娼婦に聞いてみればよく分かる)、寝酒に同じ量のビールを飲み、12時になれば酔って下らぬ与太を飛ばし、やがて妻の横に潜り込む。それでもなお個性的な服装をしようと考え、イギリス人の画一的な服装を笑うのである。
イギリス人は死ぬまで飲むか、一滴も飲まないかに分かれる。そして芝居の存在は、シェークスピアも含め、「死ぬまで飲む派」にとっては生きるための唯一の理由であり、「一滴も飲まない派」には唾棄すべき大罪そのものである。芝居の内容は、サドが登場するはるか以前から、生殖なき性的興奮と目を覆うばかりの悪徳であふれかえっている。だが演者たちは決まって同じ服装をしているのである。
イギリス人がネクタイを買うときは、決まってこう言う。これこれのシーンに使う、これくらいの値段のネクタイをくださいと。
ドイツ人もネクタイを買うが、イギリス人の境地にはとてもではないが達していない。まずは知り合い全員に、どこで買ったのか尋ねていく。そして一日中通りを歩き、ショーウィンドーを見てまわる。最後に、ネクタイ選びを助けてくれる知人を選んで店に連れて行く。こうしてようやく満足して二マルクのネクタイを一本購入し、国民経済に寄与してきたというわけだ。
だがイギリス人なら、ドイツ人がネクタイ選びに費やす時間で一足の靴を作り、詩作にふけり、株でひと儲けし、あるいは女性を幸せにしたり、不幸にしたりしていることだろう。
ドイツ人よ、それならばいっそのこと物乞いにも、個性的なズボンを履かせたらどうだろう。そうすれば王子でさえ誰にも気づかれずに外を闊歩できるのだから。
*)ロース注
ドイツの文化的な人間は、自分の家の中に閉じこもってビロードや絹、様々な色と生地で遊ぶのである。リヒャルト・ワーグナーを見よ。
(3068文字)
- 「メルツ(März)」は1907年6月から17年12月にかけて発行されたミュンヘンの文化専門雑誌。 ルートヴィヒ・トーマ、ヘルマン・ヘッセ、クルト・アラムとアルベルト・ランゲンによって創刊された。
- トガは古代ローマを代表する衣服。円形または長楕円形の1枚布で出来ており、帝政時代には直径6メートル、幅2メートルに及ぶものもあった。トガは着る人間の偉大さや支配的な地位の代名詞であり、階級によって素材や装飾が異なった。また、市民権を持たない人や罪を犯した市民はトガを着る権利がなかったとされる。
- チンクエチェントは、16世紀イタリアの文化・芸術の名称。具体的には、ルネサンス最盛期、マニエリスム、初期バロックを指す。
- ヴォータンは北欧神話の最高神オーディンに相当する、サクソン族とフランク族の神の名。彼に捧げられた日は水曜日Wednesday(「ヴォータンの日」Woden’s day)である。霊魂導師としての彼は、スカンジナビアで行われていた死者エルフの祭祀と関わっており、亡霊たちが万聖節の前夜に馬に乗って空を駆け巡る幽霊狩猟の長とされた。死の神であるため、デスマスクとフードをまとった姿をしている。