芸術振興 講演録
1905年3月
今日二日目は多くの登壇者が芸術家の求めていることについてさまざまな持論を展開しましたが、私は場違いなところに来てしまったと感じています。ここにお集まりの皆さんは、私のような者の話を聞いて、いったいどうなさるおつもりなんでしょうか? 私がここで世間を敵に回してどんなに批判を展開しようとも、皆さんは自分の非をお認めになることはないでしょうから、何をお聞きになってもあの男は頭がおかしいのだと切り捨て、自分勝手に納得されるのがよろしいでしょう。私の話を聞いてあまりびっくりされないよう、あらかじめ申し上げたしだいです。
さて、国家が芸術のために行っていることは少なくありません。むしろ、多すぎるくらいです。私自身は、国家が芸術に口を出すべきではない、むしろ黙ることこそ国家の果たすべき第一の義務だと考えております。しかし無知蒙昧な一般大衆に背中を押された国家が、どうしても芸術に介入する必要があると考えているなら、国家が果たすべき義務とはこういうものです。まず罠を仕掛けて芸術をたっぷり生け捕りにし、ウィーン造形芸術アカデミーでしかるべき人材を任命して才能のない画家の作品をまとめて購入させ、三流ライターにちょっと色を付けて金を握らせ、そしてチョウチン記事を書かせる。国家が改革の先導を任じる芸術などもってのほかです!そんなことをすれば芸術は滅び、国民はだめになるだけです。
芸術にあれこれ頭を悩ますのは、国家のやることではないのです。それは個人がやるべきことです。国家はむしろ、個人が芸術に取り組める環境を整えることこそが義務なのです。よって私の結論はこうなります。どうしても芸術に介入する必要があるというのなら、国家が芸術に奉仕する方法はただ一つ、才能のない者を引き立てることです。さもないと天才を苦しめることになる。
国民は少々のことでは動じません。良い政府、悪い政府、ペスト、戦争、革命、総白痴化、戦意高揚、こうしたことをすべて経験し、生き抜いてきました。そして絶えずウサギ並の繁殖力で子孫を増やし続けてきたのです。しかし天才というものは肉体なくしては存在しえず、肉体である以上、年を取り死を免れることはできません。天才が残すことのできない肉体こそ、民族にとっても、人類全体にとってもかけがえのないものなのです。百年後に生まれくる同胞たちに作品を通じて語りかけることができない場合には、天才が死ねば、肩代わりできる存在はありません。一回限りのかけがえのないものなのです。確かに天才が埋没することはありません。もし埋没するとすれば、もともと天才ではなかったにすぎません。天才は飢えもするし渇きもするが、それを感じることはありません。借金をすることもあれば、他人を犠牲にすることもあるでしょう。道徳に反することも、反社会的なこともあるでしょう。あるいはそれよりましな場合であれば、隣人たちは社会の価値観が変わり天才が認められるまでは、天才のことを反道徳的で反社会的だと思い込んでいます。天才に名誉はありません。ひとびとから張り手を食らうこともありますが、肉体的には痛くとも、心に痛みを感じることはない。天才はすべてに耐えることができるのです。しかしひとつだけ例外がある。それは、天才に仕事をさせない場合です。言い換えると、国家が神の意志に逆らった場合ということです。神は自らの意思を実行させるために天才を呼び出し、世界に置くからです。妨げられることに、天才は耐えられない。どんな艱難辛苦に襲われても平気です。しかし自分の居場所を他人に奪われてしまうと、とたんに骨抜きにされ、仕事をする力も神から与えられた欲求も、つまり神聖なる創造への意欲も失ってしまうのです。
天才の行く手を阻むことは最大の犯罪です。人類がその犯罪を犯すことがありうるのです。これは名状しがたい犯罪であり、聖なる神への冒涜です。誰もが天才を憎みます。天才はたいていもっとも少ない少数派です。つまりたったひとりで立っているということです。みな天才を恐れます。なぜなら、天才がひとびとの太平の夢を破るからです。しかし誰もが神を冒涜しようとは思わないでしょう。
さてここで皆様にあらためて問いたいと思います。はたして国家が芸術に介入する必要があるのでしょうか。私はその必要はないと考えています。私の前に登壇された画家のクロンシュタインさんは、アメリカにいると、あの国の商人たちがヨーロッパの貴族よりはるかに芸術を求めているという場面に何度も遭遇されているそうです。それはそうでしょう。当然、そうあるべきなのです。国家が芸術を保護するなどと言っているかぎり、神がわざわざ天才の生に与えた苦悩を、国家が肩代わりすることになってしまうのです。そんな苦労を国にさせてはいけません。どうか国を楽にしてあげてください。そうなれば国からも芸術からも、感謝されること間違いありません。
国家が芸術に役に立つことなどありえません。せいぜい天才の邪魔をするくらいのものです。こうした認識を皆様にもっと広く共有してほしいのです。そうすれば国家は芸術の保護者の役を喜んで捨てるでしょう。国家がそうなるよう、私たちが努力しなければならないのです。
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