あるウィーンの建築家

 “装飾芸術” 1898年11号

 

 ヨーゼフ・ホフマンはじつに語りづらい存在だ。何しろ私は、彼を筆頭とする一群の若き芸術家たちがウィーンやほかの場所で展開している活動に真っ向から反対しているのである。私にとっては伝統がすべてであり、個人の発想や想像力など二の次なのである。だがここで問題にしている芸術家は、沸きあがる想像力を活かしつつ、伝統としっかり向き合うことに成功しているのである。そして伝統主義者である私も、伝統の中にガラクタが数多く混じっていることは認めよう。

 建築家ホフマンは目下大成功をおさめている。このたびの皇帝即位50周年記念博覧会のウィーン館設計をめぐるコンペでは、昨今取りざたされる材料論争に対し、時代に即した模範解答を示した。メールマルクトにある二つの賃貸住宅プロジェクトもそのひとつである。彼は隅石[1]に見せかけるイミテーションを全否定し、被覆の原理[2]にしたがって壁のつなぎ目をすべてモルタルで塗りこんだ。そして真新しいモルタル壁の上に施された月桂樹の葉装飾を特別引き立たせるにはどうすればいいのか考えた末に、淡い光を放つ白熱電球を果物に見立て、月桂樹の葉装飾を緑色のブロンズで覆うことにした。ここまで彼は自分の想像力にたよったが、ファサードをセメントで仕上げる際には、スタッコ職人の伝統的な技術を存分に使うのである。ホフマンはコーニスを否定するのか、と複雑な思いで疑問を呈するものも多いだろうが、現代の建築ではコーニスが雨から玄関全体を守る役割を果たすことはできなくなっていると彼は考えている。

 ホフマンが作る装飾の多い家具には賛成できかねるが、ウィーンの惨状を改善するには、あえて度を越してみせることで、まわりを我に帰らせるというやり方も可能だと私は考えている。この伝でホフマンは雑誌『ヴェル・サクルム』[3]の表紙を過剰な装飾デザインで覆い尽くしてみせたが、これも確かにありだった。これを目にしたひとびとは確かに装飾の不必要さに気づいたのである。ヴェル・サクルムの表紙が号を追うごとに質が向上してよりシンプルになっていくように、ホフマン自身も目を覚ましたウィーンに足並みを合わせ、より抑制を効かせた表現を目指していただきたいものである。

(926文字)

 

  1. 隅石は、レンガ積みや石積みの建築において、角になる部分に積まれる石。本来、痛みやすい隅部分を補強するために用いられていたが、装飾的に用いられるものもある。
  2. 同年9月4日の論考に「被覆の原理(Das Prinzip der Bekleidung)」(『虚空へ向けて』に所収)がある。ロースは同論考において、被覆の原理の説明として「その原理とは、被覆された素材された素材と被覆そのものを混同する可能性を完全に排除すべきだ、ということである」と述べている。
  3. 『ヴェル・サクルム』はウィーン分離派の機関誌。1898年から1903年まで発行された。分離派の作家が毎号表紙を担当。グラフィックを重視する雑誌で、グリッド状の構成や特徴的な書体のほか、方形に近い判型は後世のグラフィックデザインに多大な影響を与えた。ロースはのちに袂を分かったが、1898年7月にこの雑誌において「ポチョムキン都市」、「われらの若き建築家たちに」を発表した。