オーストリア博物館

1897年

 

 オーストリア博物館がいつものように今年もウィーンのひとびとをクリスマス展示会に招待した。そこで何が観られるのかは誰もが知るところではある。時間を重ねる中で、展示されている個々の作品対象を好きになるだけの十分の時間をわれわれは持てるようになった。私が最後に訪れたのは昨年のことだが、グラスであれ皿であれ、安楽椅子であれ家具であれ、展示品すべてが私にむかって、「また来年お会いしましょう」と会釈しているように思えたのである。だがその多くは、新たな家主たちの意に沿わなかった。彼らの意に添うには場所が必要であったため、昨年展示されていたものが今年はなかったというケースもあった。 

 一階に展示してあった旧知の展示品に短い挨拶をしたら、二階に展示してある、オーストリア博物館の新館長が直々に支援する展示品をぜひともご覧いただきたい。これらの展示品に関する詳細はまた改めて語ることにして、今日のところは、かつての市民的な家具のコピーと世界中のあらゆる国から集めた日用品に関して述べるに留めよう。これらの展示品をウィーンのひとびとが気に入ることはなかった。それもまたよしである。少なくともひとびとは存分にののしるに値するものと捉えた。ヴァステルフーバー婦人はこれらの展示品をありふれたものだと言っている。そして金箔を貼ったサロン用の安楽椅子が気に入ったという。建築家シェーンドュリュスティヒは私を次から次へと引っ張っていって、嘲笑をこめてこう言うのだった。

「きっとこれが素晴らしいって言いたいんだろう?これが素晴らしいって。まったく分からないよ」

 しかしそんな中で、高位の貴族たちは展示会開催三日目のうちに、ほぼすべての展示品を買い占め、多くの品が5倍の注文を受けたのである。貴族たちはヴァステルフーバー婦人や建築家シェーンドュリュスティヒの声に耳を傾けるつもりはないのであった。

 

 

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