■□コンバージョナブルなデザインのために〜歴史の中のコンバージョン
中谷礼仁+中谷ゼミナール/大阪市立大学
*本論は「建物のコンバージョンによる都市空間有効活用技術の開発研究」の2001年度委託研究での成果の抄録です。雑誌『GA』2002夏号(旭硝子株式会社発行)に紹介されています。
contents
・はじめに ・過去の転用事例 ・コンバージョンの定義 ・転用と更新の違い ・コンバージョニストによるコンバージョナブルなデザイン ・事物に潜在する一覧表 ・おわりに
■はじめに
近ごろコンバージョン(conversion=転換、転用=本来の目的を転じて別のように役立てること)という言葉をよく耳にする。しかし、コンバージョンはことさら新しい概念ではない。耳かきがわりにマッチ棒を使うこと。これもりっぱなコンバージョンといえる。コンバージョンという行為は、高等なものではなく、ましてや低級なものでもない。人間社会にとっての基本的能力のひとつなのである。
しかし、日本の近代建築とその生産様式の展開において、このような日常的能力は疎外されていった。その一つは「公明」で個別的ではないがゆえに限界のある法制度であり、商品化のサイクルを被りかつ「高度化」した建築存在である。それにともない、以前の建物を「転用」して使い回していく文化は、意識的になすべきものに変質してしまった。皮肉なことに、日常的な「転用」は、現在の建築文化に対し確固たる批評的位置を占めることになったのである!
だからここでの目的は、《すべき》ではなく、すでに《なる》ものとして行われてきた過去の転用事例のいくつかを、構造的に分析することによって、コンバージョンが成立するメカニズムを解明し、今後のデザイン活動の方針を示すことである。ここでは特に二つのキーワードを作ってみた。一つはサステイナブル・デザインならぬ《コンバージョナブルなデザイン》であり、それを作り出す《コンバージョニスト》としての歴史的心構えである。
■過去の転用事例
それではまず、分析を行うために採集した4つの過去の転用事例を紹介したい(註)。
事例1「電車住宅−自立空間の転用−」(参考:「日本のすまい」西山卯三、勁草書房)
もと兵営敷地の一角に、1954年、京都市電の廃車体10台を利用して「電車住宅」は計画された(図)。この住宅は、母子寮という福祉施設を出なければならなくなった母子家庭の人々のためにつくられた。単位空間として、「電車住宅」の車体は、幅約2m、長さ約9mくらいで、建坪にすると6坪程度の極小住宅である。窓がたかいため床面の風通しは悪く、夏は湿気がひどかった。1955年には建築費として5万円を月賦で支払う条件で建物は居住者に払い下げられている。電車という、形式的、様式的により堅固な構造体の転用であるため、家族構成の変化などの変更がなされると、新しい空間種別に対する段階的な、柔軟な対応はできず、電車躯体+α(増築)のかたちで更新されるか、あるいは居住者そのものが「でる」という方法によって、矛盾が「解決」されているのである(図1,2,3はすべて上記『日本のすまい』から)。
事例2「船着場から住宅へ―舟屋における調和的集落を成立させた要因」
京都府与謝郡伊根町は、古代より古くから続く漁村である。舟屋が入江にそって立ち並ぶ風景は、独特の景観を形成している。しかし、実はこの舟屋の建物自体は、昭和初期に建てられたものであり、もともとは入江に面した船着き場を住宅に転用(合体)したのだった。これら舟屋の優れた景観は、入り江に居住者が従来からの権利によって拮抗的その結果平等にもっていた船着き場を基本としているからこそ、普通の住宅街にない全体的な調和と緊張が存在しているのである。その地域の居住関係、権利関係を象徴する船着き場の配置が、その住宅への転用に類い稀なリズムを与えたのである。これらの編年に一貫して感じられるのは労働空間と生活空間の密着による合理性である。(図4 舟屋の並び、中谷撮影)
事例3「材となったアクアポリス―完全人工のインフラの最後―」
1975年、沖縄海洋博覧会のために、総工費130億円を投入して海上パビリオン「アクアポリス」がつくられた(図)。その目的は、海洋空間利用であり、当時の科学技術の粋を集め、時代の海上都市の構想を中心とした展示がなされた。博覧会終了後、沖縄県に譲渡されたが、集客立は落ち、長い間閉鎖されたままになっていた。こうした折、台湾の国民党党営企業を含む投資グループからアクアポリスの再開発と一括運営の提案があり、アクアポリスはエンターテインメントを中心とした都市型の海上観光テーマパークとして「転用」されるはずであった。しかしその期待はついに実らず、総工費120億円強をかけたこの建造物は、4半世紀を経て、わずか1400万円で売却されていったのであった。
アクアポリスは巨大な人工のインフラである。しかし、インフラとしてはあまりに総工費や維持費がかさみすぎた。よって純粋な材に還元されたのである。(図5 アクアポリスの上海での解体を伝える新聞記事「世界日報」2000年10月24日朝刊)
事例4「ダイコクノシバと大極殿」(参考 『建築史の先達たち』太田博太郎、彰国社)
明治32年、初代奈良県技師である関野貞は、奈良県西郊を散策していたところ、自分の今立っている位置が周り田より一段高く、耕作されていない場所であることに気付いた。そこで近くの農夫に尋ねたところ、その一帯は「ダイコクノシバ」と呼ばれているということがわかった。「ダイコクノシバ」の「ダイコク」とは、大極殿のダイゴクがなまったものではないかと気付いた関野は早速調査を開始し、その結果、「ダイコクノシバ」が平城宮大極殿の跡であるということを発見した。機能も実体も消えて、場所と指示内容をなくした浮遊するシニフィアンだけが残ったものが、ある建築史学者の直感によって、古代都市・平城京へと復原された。そこには、実体、機能をこえて、固有名、潜在的コンテクストが強く残存している。
この事例では構築物の痕跡のみがかろうじて残っているが、建物その物はない。ここに何があったのか、普通なら誰もわからないようなところである。しかし、ここは「ダイコクノシバ」と呼ばれていた、そう呼んでいる人々も、誰かが呼んでいるのを聞いてそう認識しているだけである。しかし、「ダイコクノシバ」と呼ばれている事実と「大極殿」があったかもしれないという事実が出会ったときはじめて、ダイコクと大極という見えないつながりが見えてくるのだ。(図6 ダイコクノシバ 上記参考文献より)
(註)実際には20の事例を収集し、分析を行ったのだが、今回は紙面の都合上特に典型的な4つの紹介にとどめた。
事例収集の方法については以下の通り。
まずは、総合的な文献資料として以下のなかで、転用やそれに関わる論文を検索した。
1)住宅総合研究財団年報(1974年〜)
2)日本建築学会計画系論文報告集(1976年4月〜)
3)日本建築学会大会学術講演梗概集(1976年4月〜)
それと同時に、広くその事例をあげるために、インターネットによる検索も行った。ただし、インターネットで導き出された事例は信頼性に欠けるため、文献による補足的調査を行い、相応の信頼性のあるもののみ採用した。
■コンバージョンの定義
これらを含んだ事例群を分析していくと、コンバージョンは、以下の複数の定義の上に成り立っていることがわかる。
(1)本来の目的を転じて別の用に役立てること。特に事物の用途が変化すること。(機能的定義)
(2)変化すべき要素と変化に耐えうる要素の重合。(物質的定義)
つまり転用は、上記の機能的定義と物質的定義との関係において把握することができ、ふたつの関係は、事例ごとに異なる幅をもつ。つまり転用は、転用される主要素としての<機能的定義>と転用を支える調整要素としての<物質的定義>との関係において把握することができる。その調整要素の主たるものには、建築的平面や構法に関わるもの(事例1,3)、事物の物質的性能や条件に関わるもの(事例2,3,4)、転用時における法制度などの社会的コンテクストに関わるもの(事例2)、そのほかに潜在的コンテクスト(事例4)があげられる。また、それら転用に関わる調整要素は、過去の事例からも明らかなように、複数の関係においてあらわれるのが普通であり、それらは段階的とはかぎらないのである(図7)。
また転用それぞれは
(3)事物の連続的な変容のプロセスの一部であること。(内包的定義)
が明白である。転用を事物の変容の総体において、その特性を位置付けることが可能でなくてはならない。つまり転用は事物の《存在》自体の改変という事態を含んでいる。ある事物が改変を受けたにもかかわらず、それが何らかの事物として認識されるためには、やはりそこにも事物としての統括的なまとまりが存していなければならない。すると統括的なまとまりは事物に含まれる要素全ての調整によって生まれるものであるから、そこでは変更された要素と、その変更に耐えた要素との間で、一種手術めいた、再編成のやり取りが加えられているはずである。
ゆえに転用された主役が建築的機能や用途にかかわる部分に限定されようとも、その変更にしたがって、その変更を支えた(変化に耐えた)要素が同時に「手術」されている。転用はその表向きの変更部分とともに、その変更操作が、それ以外の部分のどのくらいのレベルにまで関係し、相互に影響を及ぼしているかの分析が不可欠となる。
先の事例紹介では割愛したが、ローマの円形闘技場の集合住宅への転用を、私たちは「見事な」事例として認識する。その見事さは、円形闘技場だけでも、集合住宅からでも発生せず、両者の類似性に対する転用者の深い認識とその実践的な架橋行為、つまりはAによってBを達成するという、再定義と自律化がはらまれているがゆえでなのである(図8)。
図7)転用―変容の構造図、 図8)アルルの転用円形競技場、1686年の版画
■転用と更新との違い
さらにここで、転用と更新の違いを明らかにしておきたい。
元イギリス王立建築家協会長・フランク・デュフィによる建物の更新図(図9)(註)によれば、建物(Building)は、敷地(Site)と構造体(Structure)と外皮(Shell)と設備(Service)と間取り設計(Space Plan)と家具(Stuff)の、時差を含んだ重合体であるという(図3)。それぞれの含む時間について見てみると、敷地は永遠であり、構造体は30―300年、外皮は20年、設備は7―15年、間取り設計は3―30年、家具は日常と分けることができる。
このように、一般に建物の更新論においては、時間的変化以前に、一定の決められた建物改修のシステムが成立している。つまりある特定の時期に決定された要素の使い方から、そのおのおのの「時間」が配分されているに過ぎない。それに対して過去の転用事例に見られたような、要素の序列構造(システム)がより自由になっている状態が存在する。更新はあるシステムの時間的温存を目的とするが、転用はあるシステム自体の変更と再定義を必要としているのである。
つきるところこれまでなしてきたように転用を構造的に語りうるのは、事後的に見いだされるがゆえである。それでは、転用が主体あるいは状況に応じて変化するものであり、決して機械的なものではないのだとしたら、いかに転用は発見され、なされるのだろうか。
図9)建物と考えられている層の重なり("How Buildings Learn" p.13)
(註)この図は、Whole Earth Catalogueの先導者であったスチュワート・ブランドの建築物の転用を扱った近年の著作「建物はいかに学ぶか」("How Buildings Learn")の中に掲載されている。
■コンバージョニストによるコンバージョナブルなデザイン
ここでまず、我々の目標とする転用を転用一般とは区別して、コンバージョナブルなデザインと呼ぶことにしたい。それは先に示したように、連続的でかつ発見的でなければならない。では、コンバージョナブルなデザインとはいかにして可能なのだろうか。
この命題に関して最も示唆的な論文が、クリストファー・アレグザンダーによる「都市はツリーではない」である。ここにでてくるツリーとセミラチスとは、多くの小さなシステムがどのようにして大きな複雑なシステムを形成するかについて考える方法であり、その違いは図のようにあらわすことができる(図10)。
ツリーではエレメントの集合に全く重なり合いがない。一方セミラチスでは一つのエレメントがさまざまな集合に属している。自然都市が豊かで多様な生活をもたらすのは、その構造がセミラチスになっているからである。それに対して、計画者が作った都市は常にツリーである。というのは、人間がデザイン的課題を解決するためには、単純で明快なツリー構造(合理化)にしないかぎり把握しずらいからである。この限界性もまた基本的な人間の能力である。
しかしながら、ツリー化という能力の限界を保持しつつも、その結果発生する諸問題(厳密にツリー化されてしまった人工都市)を簡易に抜ける道がある。
C・アレグザンダーによると、自尊心の強い子供は<遊び場>である運動場では遊ばず、ガソリンスタンド、空家など、一般的なカテゴリー(既存のツリー)においては<遊び>とは別に属するであろう場所を、<遊び場>として認識する。
このように、「自尊心の強い子供」が「ガソリンスタンド」を遊び場に転用できるのは、それがいくつかの点で遊び場に転用しうる要素を保持していることを、厳密にツリー的な思考において見出したからに他ならない。彼がその類推能力において「計画者」と異なるところはいっさいない。全く異なるのは、それが常にランダムに形成されるであろうことを認めていることだけである。
そのような意味でセミラチスとは過去の対象(現前する事物)と時間差を含んで新たに生起するツリーの重合として考えることができる。セミラチスが複数のツリーの時間差であること、この指摘はこれまで不思議なほど見過ごされている。
彼は既にでき上がったものを、その時間差において新しい用途に転用しうるもの使用者=転用者(コンバージョニスト)であり、その成功には、むしろ厳密な類推能力が必要とされるのである。
図10)ツリー(左)とセミラチス(右)
■事物に潜在する一覧表
ここでさらに採り上げたいのは、事物の転用を可能にする、特殊なプロセスについてである。ある事物についての特定の一つの解答(用い方)が鑑賞者に提示されるとき、それは同時に、その可能な変形の一覧表が潜在的に与えられていると彼はいう。ここでの鑑賞者を使用者としてのコンバージョニストとしてとらえてみよう。
転用を促すものは、まず第一にコンバージョニストにおける切実なる一つの要求である。彼はあるものをうまく使って、新しい用に役立てなければならない。しかしながら、その切実さこそがむしろ転用の方法が一つではないことを自明のものにする。なぜか。
その時、彼は事物に存する可能的な性質を、内在的に類推して、厳密にそれが新たな目的に対して機能するかを判断しなくてはならない。その時彼はその類推のフィードバックにおいて、ある事物が複数の事物にもなりえたことを認知しうるのである。その転用の可能性は無限でも一つでもない。いくつかなのである(いくつか性=セベラルネスと呼ぼう)。その時事物は、その可能性をコンバージョニストの前に潜在的有用性の一覧として示す。事例6電車住宅を用いて具体的にその経緯を検討してみよう。
まず使い古された電車の躯体があった。
図11
戦後の住宅難のなかで、コンバージョニストは住宅に転用しうる事物を探していた。
図12
電車はその結果として住宅に転用された。
図13
しかしながらその経緯は必然的ではなく選択的である。
図14
つまり電車住宅が生成されたプロセスには、電車躯体がその潜在的一覧表のなかのリストの一つとして、住宅を希望するものに対して、その用法を提示されたということになる。
図15
住宅は既にあるものとの組み合わせによって多様な転用的形態をまとい、更にそれが転用される準備を持つ。その転用は「一覧」としての複数性を持つため、無限ではないが多様な解が生まれる。
図16
以上のようなプロセスにおいて、転用は、ユニークな連続的変容をともなった事物を生成していく。それは時のかたちのダイナミックな運動なのである。
■おわりに
これまで、事物の転用可能性(コンバージョナブルなデザイン)が、いかなる状況において生じるのかを検討してきた。そこには
・既にあるものとしての事物
・それを転用しようとする主体の切実なる要求
・転用可能性の吟味における主体側の論理的類推
・主体と事物との間に発生する事物の転用可能性の一覧
が、必要であることが明らかにされた。
これらのどれか一つでも欠けると良質なコンバージョンは行われないのである。現在において特に必要であるのは、決められた更新の仕方しかゆるされないような強固な構造体ではなく、柔軟な変化を受け入れることのできる良質な事物の発見、そして、それらの事物から、転用可能性の一覧表を引き出すことのできる柔軟な思考、そしてそれを実行する主体である。
ここで得られた新たな見方を、今後、コンバージョナブルなデザインを行うために、役立てていただければ幸いである。Back to Index