事例3

近代条里制道路
・地区名称;長原地区
・都市詠みの技法:掛け詞

□連鎖分析
旧長原村を歩いていると、集落を分断するように通されている計画道路にでくわした。長原地区には今でも耕地や空き地が残っているのに、なぜ既存集落の間に計画道路を通したのだろうか。
更に調査すると、この道路は土地区画整理事業によるものであることがわかった。事業計画図を見ると、既存道路を東西へ拡張し、集落、市営団地の隣棟間を突き抜けているのがわかる。集落だけでなく、近代に建設された団地の隣棟間にも道路が通されている。なぜ、そんな無理をしてこの道路を通したのか更に疑問が深まった。
区画整理が行われる前に遡って調査する。するとかつてこの地区は古代条里制の遺構の広がる耕地の中を長原村が街道に沿って南北に発達していたことがわかる。条里復元図を見ると、集落の内部に条里地割がほとんど見られないにも関わらず、集落を通り越えて連続していることに気が付く。長原村内部の道は屈曲しており条里地割とはほとんど関係なく形成されている。
次に条里復元図を現代地図にも重ねてみることとした。その結果、これまで疑問としていた計画道路が実は、ちょうど古代条里地割を繋げたものであったことがわかった。
長原地区は、古代に条里制が敷かれ、中世に長原村が東西を分断するように南北方向の街道沿いに発展した。それが近代に入り、長原地区の土地区画整理時に、東西方向へのアクセス確保が問題となった。その時この区画整理をするプランナー達は、かつて中世集落によって分断されていた条里地割を使って中世集落や団地の区画を横断する道路を計画し、実行したのであった。

□まとめ
長原地区の土地区画整理を担当したプランナー達はおそらく無意識的に条里地割を用いてこの道路の計画をしていたのであろう。例え近代に引かれた新しい計画道路であっても過去の影響が隠然と残っているのである。(登尾)


図1 集落分断部分

図2 団地区画内に道路計画
(長吉瓜破地区土地区画整理事業パンフレットより)

図3 条里復元図

図4 区画整理事業計画と条里復元図の重ね合わせ
(長吉瓜破地区土地区画整理事業パンフレットより)

図5 敷地形態が変わっても団地は残った
図6 長原地区の変遷


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