ステンレスのバケツ

中谷礼仁

もう半年前の話になるけれども、誰も書いてくれないことがあるように思う。あのステンレスのバケツのこと。
茨城県東海村、住友金属鉱業の子会社・JCO東海事業所 のウラン加工施設で臨界事故が発生し、施設から放射能が大量に漏れだしたことはまだ記憶に新しい。施設のすぐ近くでは、放射線量が通常の約四千〜一万五千倍に達したといわれる。作業中の従業員3人が大量に被ばくしうち一人がすでに死亡、もう一人の方も予断を許さない。この事件でわれわれを驚かせた「犯人」が、ステンレスのバケツであった。

ステンレスのバケツ
普段はなんの変哲もないステンレスのバケツが、なんで犯人になったのか。同施設が国へ届けた本来の作業手順書とは別に、一部の作業工程を省略するために、「未承認」のバケツを使ったからである。つまり「使われ方」が悪かったのである。これに対して、おおかたの反応は、原発のような高度な技術に対してバケツとはノといったような、まるでバケツ自身が高度でないようなものいいであった。はたして本当にそうなのか。

明治期の職工の知恵との違い
原子力関連施設といえば、いわゆるコンビナート技術、つまりあらかじめ決められた複数の生産プロセスだけで閉じて自立している、現代テクノロジーの象徴である。確かに「高度」ではあるが、厳密な操作が要求され、他との関係もない。むしろ他は「ノイズ」であり許容されない。
ここで試しにふりかえってみれば、日本近代のコンビナート技術の初期代表例は紡績業であった。そこでも今回のバケツのようなことが起こっていた。針布と呼ばれるパーツを所定のドラムに合せて巻いたときに余ってしまった部分を、どうして切ったら良いかわからずに、たがねで断ち切った事例。伝動に用いるためのロープの結び方がわからずに、帆船の船頭を呼んで結ばせた事例。コンビナート技術の断絶性が耐えきれずに、結果として、それを地場に根づかせたのは、現場の知恵、ありきたりの周辺技術との関係構築あって故のことであった。無理な最新鋭技術を本当に使えるようになるためには、実はこのような現場の知恵、そしてそれを受け入れざるをえないことを認めた上での弱いネットワーク構築が必要だったのである。

知恵が開かれていないこと
では、あのステンレスのバケツはどうだったであろうか。百歩ゆずろう。これもやはり当初は、現場の知恵ではなかったのか。ではどこが違ったのか。それを受け入れることのできなかった硬直した強い技術、例外を許さなくなってしまった「高度」なテクノロジーの方なのではなかったろうか。大切なことはむしろ、この事件を含んだ産業が、ステンレスのバケツを取りこめなかったことにある。このとき知恵、つまり新しい知識の萌芽は「犯罪」になったのである。ここまで考えたときに、ステンレスのバケツのとりまきは私たちの問題として立ち現れてくる。

知識と知恵が断絶している。インターネットを見ればますます暗くなる。インターネットには「裏」情報があふれている。電話料金をただにする方法等々。ちょっとした知恵は、「表」のマニュアル社会の「裏」に隠れてしまう。あげくの果てが「犯罪」である。
じゃ建築はどうなのか。建築はすでに歴史全体として、悪い意味としての「高度」にはなりえない訛りを持っている。建設業の総体がコンビナートされることはまずあり得ないだろう。でも安心してはいられないから、最近、弱い技術というキーワードを使い始めた。柔軟な技術ではだめなのである。不測の未来に対して自らそのものを変えざるをないようなテクノロジーが、本当の意味での高度な技術なのではないだろうか。


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